様々なところから。

嬉しい知らせが届いてる。

それは、間違いなく吉報だ。

僕は、ある美大の馬鹿な女に

阿呆な恋をしたものだが。

恋とはおよそそんなものだ。

失われて初めて見えてくるものもある。

だからこそ、恋だったといえるかもしれない。

人生、そんなところだろう。

ともかくも、吉報が続く。

僕は、恋の女を幸せにしてやれなかったものの

違う穏やかな幸せに気づき、手に入れられた。

ここに書き込む、一人一人の、

優しい彼女たちの、ご幸運を、

ぜひお祈りしたいと思います。

うまくかなわんものは仕方ないじゃない。

早く夢から目が覚めて

楽しい毎日を過ごすよう、祈ります。

どんな阿鼻叫喚も、気の持ちようで天国。

どんな天国も、考えようで、地獄。

そんなところだよ。

ゆっくり、確実に、おやんなさい。

(僕はただ笑ってるだけ。)

・・ただそれとは、別に。

僕は、同職の馬鹿とは、

2度と異性として会話したくないです。

人として最低。と付け加えておきます。

約束違反。適当。そんな連中なんか人みる価値ないです。

またそれをかばう馬鹿も馬鹿だと思います。以上!
横浜と下北。なつかしい、僕の居座ったところだ。

もう、何も残ってない、思い出の街。

初めてお茶して、ぎこちない会話を楽しんだ、喫茶店。

古ぼけた居酒屋。さもない古着店。

軒並みつられて、女の子と手を結んでみた。

初めて歩いた、歩道の横道だった。


それらとは、やがて打ってかわって。

潮風と丘の、本牧山手。

休日に、初めて車に出かけたところだ。

ちょっぴり、お洒落なデート気分だった。

まるでお菓子の国から生まれたような、

お店に、お菓子と玩具がいっぱい。

ああこれが、女の子の専売特許なんだって、思えたんだ。

そして帰りは、思いっきり一方通行を逆走した。

どたばた迷って、ようやく戻れて、

手作りTシャツを、お土産にプレゼントして。バイ、バイ!

なつかしい、思い出のひとときだった。

山の崖っぷちから、見渡す夜のネオンを向いて、

死んじゃった犬のお墓まで、月の下をふらついたんだ。


なんだかんだ、また場所も変わってしまって。

ついぞ気づいたら、やっぱり一人きりになってしまった。

みどりの土手っぷしに、なんとはなしに寝転んだり、

満開の花咲く中を、思いっきり歩いたりした。

なんの目的もないまま。

ひどく傷つきうらぶれた、雀のような僕の背中。

そっと手のひらを投げると、

投げ返してくれる人が、いるかい!

とても背中が熱かった。まるで緋文字のようだった。

気づいてみると、登る階段を下から押し上げてくれて。

「君はひょっとして、ロマンチストなんだね!」

さもないベレー帽の女の子が笑っていった。

彼女の横に、隠れたような筆を手に。

またお洒落なルドンの模写の上に。

もう肩越しに、詩集一篇。乗っけから、小さな花束を。

花と緑と、木陰のひとときかな?

流れる影を背景に、

蛙とおたまじゃくしならなんとか描いてみせるよ、といった。

でも蛍なら、やっぱりかけないだろうな。

すると見たこともないような顔で笑っていった。

「やっぱりあんたは、ロマンティストなんだ。やってみて!」

つられて笑っちゃった。

なんとはなしに、話に乗ってみただけ。

蛙の子は、蛙らしく。

一生懸命に、二人で描いてあげました。

二人の後ろから、

教会の12時の、時を鳴らす鐘が聞こえて参りました(笑。)

終了。

2005年5月5日 恋愛
下記にて。

恋愛問題は、終了といたしました。

後は、後方よりの

バック・アップに徹したい、と思います。

とりあえず、某日に

某美術館に婚約者と連れ立ち、

ご挨拶と情報交換に行って参りたいと思います。

(・・嵐の予感。)

これにて、恋の問題はオシマイ!!!

お疲れ様でした。ご拝聴ありがとうございました。

なお感想ご意見等ございましたら、

一通り拝見させていただいた後ほど

感想を付け加えさせていただきたいと思います。

では、また。

悩み。

2005年4月29日 恋愛
今の婚約者には満足している。

しかし。・・

僕の、別に好きな教え子が、

大活躍している。

国展(国画会)という展覧会に、

新人として入賞を果たしてしまった。

(もう、そっちで歴史に残ってしまうかもしれない。)

このGWに、上野の美術館で発表されている。

それをみてると嬉しいけど、とても複雑な気持ちだ。

やっぱり、彼女を好きなのだ。

もう告白してフラレタ過去のことだし。

今はもう別に婚約者もいるから、

それはそれで、もう元に戻れないのだから。

だが、嬉しいけど、ちょっとブルーだ。

こういう、好きとか、嫌いとか。

これは、もうどうしょもないことらしい。

あの子を美術に向かわせたのは僕だし。

浪人のとき支えたのも僕だ。

それ以前に、あれは僕が育てあげた最高の女だ。

それを離さざるをえないとは。

やっぱり、因果なのか、とも思う。

今の彼女も、別のイミで十分素敵だ。

美術、音楽、服装、語学、

どれをとっても、ソフィアだけに貫禄十分だ。

また、考え方も僕そっくりだし。

マルチで、バランスも取れて、結婚相手にはふさわしい。

だが、しかあし。

どれもずば抜けてる、というほどでもない。

特別な才能という意味では、

僕の育てた子の、芸術領域ではやはりかなわないかとも思う。

それだけ、あの子は、スゴイ。

それは200パーセントわかってる。

でも、好きだけど、うまくいかなかった。

ほんとうに好きだった子とは、結婚できなかった。

でも、これも運命。

彼女は特別な才能の元に生まれた子なのだから。

楽しく過ごすのは、今の彼女。

でも、惚れた子たちは、

陰でそっと暖かく見守ってあげよう。
ひな祭りにちなんで、
女の子の話でもしましょうか。
(いつもか?)

ぼくは、好きな子には、
どうもふりむいてもらえなかったかな。(笑)

好きだったのは、浪人のとき。
(ずいぶんと古い。)
秋田出身、玉川大学文学部の、
ホン好きな年上おねえさん。(黒木瞳に少し似てる。)
ハスッパだったけど、ひょうきんで楽しかった。
わざわざ、塾の帰りに待ち合わせたけど、
相手にされてもらえなかった。
それでも、ガンバってどこかにでも受かればいいねって。
シモキタだの、玉川大学でお茶に連れてってくれた。
それで読んだことない、ランボーだのバレリーだの、
教えてくれたかな。
またおもしろい出し物なんかもつれてってくれた。
ぼくはそこで、なんにもないけど、
懸命で、その頃夢中だったドビュッシーやラベル、バルトークなんぞを、勉強そっちぬけで弾いてがんばったんだ。
国語なんかも、彼女から教えてもらった。
当時、どうやってもそれはかなわなかった。
僕の文の修辞や技法は、まさに彼女に教わったものだった。

もひとつ、フラれた女の子。アコムの姉さん似かな。
この子も国語の天才だった。
それ以外はなんの取り柄もないと思ってたが。
見事芸術方面で花を咲かせた。
MTVのおしゃべりトマトから生まれた、オタク女。
これで道を誤ったが、まあ仕方ないとしよう。
実際この子が、自己中ナンバー1といってよい。
彼女からは、美術絵画陶芸デザインを教えてもらった。

それから他の人は?・・と、そこまでです。(笑)

ただ、結局のところ。
なぜに、彼女らがダメであったか、ということ。
はっきりいって、みんな綺麗でかわいいんですね。
なんといっても、個性的です。
他に代えられない、国宝ものであります。
しかし、であります。

結局彼女らは自分が一番かわいいと、
そのめいめいが信じ込んでいたんですね。
でもって、自分が一番中心なもので、
他人を振り回して生きてることに気がつかんとです。
オトコは、それに振り回されて生きてがんばっておったと。
そういう事実に、彼女自身が気づいてないという。
こういうのを、身勝手といわれますね。

わたくしもさすがに学習し、
こういうキレイかわいい系の人とも、
それなりにいささかお付き合いありましたけれども。
さすがにこういうのが続いてはゴメンこうむると、
とりあえず告白して花をもたせまして。
フラレタと思いきや、連中と、
チャンスとばかり逃げ去ったのが
事実というのはどうでしょうか。
そして今の彼女は年相応、それなりにブスだったのでした。
(恐らく彼女も若かりしはイケメンブイブイおねえちゃんだったでしょうが、やがて身の程を知っておとなしくなったと思われる。昔だったらまず到底相手にはされんでしょう。)

ただ30も近くなれば男も女も丸くなるので、
そこで昔の所業も反省し、
多少とも落ち着いたものと思われます。

この文章を読んでココロ当りのあるアナタ。
わたしもそれは遠からず反省していますが。
ひとこと助言するならば。
他人を振り回しているのに、お気づきなさい。
キレイなアナタに、周りが踊らされてるんですよ。
その点注意するのが、何よりもいいことだと思われます。
また、いい男なんぞ掃いて捨てるほどいると思います。
さっさと誰か好きになって、さっさと結婚おし。
今は好きじゃなくても、結婚してから楽しくなるですよ。

といったわけで、閑話休題。
それにしても、ひな祭りにはほんとふさわしくない話だな。
ゴメンナサイね。
格言。キレイなひとには毒がある。注意せよ。
それでは、また。

(・・と、ぶーイングの嵐が吹き荒れる。)
最後の山場が、近づいた。
舞台の準備が、迫ってしまった。

ここに記すのも女々しい、馬鹿馬鹿しいことだが。

僕は、自分のしかけた罠に陥った。
最後は、自分で自分の首を、絞めたといえる。
この窮地を逃れるのは、最後の自分の決断しかないだろう。

それにしても。

辛い恋をしてきた。
僕の恋はまず実らなかった。

立場もあった。
友達もいろいろいた。
でも、最後に賭けていたのは、常に一人だった。

でも、その一人が、どうしても振り向いてくれなかった。

そのためだけに、賭けていたといっていい。

その最後の一人が振り向いてくれるのを、
ずっと待っていたのだ。

恐らく、もう半分以上、黒星と出てしまっているが。

しかし、ぼくも、男。

最後に、人知れず、勝負に出よう。

そして、あの子に、思いのたけをぶつけよう。

そして、すべての運を、彼女にまかせよう。

駄目でも、いい。

負けて、晴れて、堂々とするがいい。

僕は、あの子の未来と幸せを信じて、

良かれと思うことを貫き通してきたのだから。

そのために、ワガママもあったけど。

もしも負けても。胸を張って。全力でいこう。

男は、別れ際も、最後に笑顔だ。

過去の自分が去って、

もう一人の自分にまた、会えることを信じて。

元気に、胸を張って。

思いのたけを、ぶつけていこう!

勝負は続く。

2004年7月3日 恋愛
ほとんど、愚痴となっておりますですが。

まだ、勝敗は決したわけではありませんので。

わたくしの言い分が通るならば、

もすこし粘ってがんばってみます。

・・ご同業って、ほんとむつかしいよ。(泣。

幸福。

2004年6月29日 恋愛
大きい希望、
はたまた果てしない夢。

それをみるのは
ほんとに よいことだと思います。

夢がない人生なんて、
どんなひとにも、ないでしょうから。

それでも
喜びや 悲しみは
身の回りの ちょっとしたことにあるのです。
ほんのささいな 楽しいこと。

それが、すべてじゃ ないのでしょうか。

だから、
ほんのちょっとのことでも
気にかけ、見回してみる。

きっと、
幸福の種は、
身の回りの、ちょっとしたことから
芽生えてくるはず。

だから、

大切な目の前の日々を
あたりまえに、
大切にしていきましょうよ。

ね? (笑。

詰めの甘さ。

2004年6月29日 恋愛
ご同業の人と
とりなす機会がありました。

まあ、、
非常に考えのよく似た、
自由な雰囲気の、好感触なお方でしたが。

やはり、
最後のぎりぎりの段階になって。
生きる上での自立心のなさ、
詰めの甘さを実感いたしました。

「親と相談してから。」

それが大事なのは
本当によくわかります。
でもね、最後に
選んで考えて決めるのはあなた自身なんですよ。
ほかでもない、あなたの人生なんですから。

親の許可をもらい、相談するのは
しごく当然です。
しかし、最後の結論の大事なところで
人任せにするのは
どうも納得いきません。

最高学歴をもってしても、
ここぞとばかりに露呈されるひ弱さ、
人生、生活恋愛経験のなさゆえなのか。
それで、30手前でいまだに
劇やマンガのごとき
ロマンチックな夢とあこがれを男性に期待するのは、
大変可愛らしいとはいいたいんですけどね。

現実を直視せよ!

情けはひとのためならず。
自分が生き抜くために、必要なんです。
ゴハンを食べ、お金を稼ぎ、
自分が生活するために、必要なことなんです!
ひとのためじゃない、
自分が生きて、食べていくために
がんばっているんじゃあないのですか。
でなきゃ、到底人助けもできやしない。
余裕があって、はじめてしたいことできるんですよ。
偽善のため、出来ごころの同情なんかで、
オマンマなど、決して食っては行かれません。

生きるって、もっと厳粛なことなんですよ。

まあ、バランスも大事ですけど。

まずは生活の視点に目を据えて
現実に立脚して事を始めよ。
けっして夢や理想では食べていかれませんので。

だから考え方がぬるいんだよ。高学歴は。
それだから舐めてかかられるんだっつーの。
アマイぞ、アマイ!!
もう一度頭を冷やして、出直してきなさい。

ニーズの違い。

2004年6月16日 恋愛
端的に。

どんなにお互いの合性が良くても
例えば社会的職種、
専門性の違い、
お互いに生きるうえで必要なニーズの違いから
お付き合いに制限ができる場合もあります。

それは
その時点、環境によって、
単にベスト・チョイスが異なっていたからと
考えて良いでしょう。

専門性の違いというものは
お付き合いにも大きな障壁を
与える場合があります。
だからこそ、
専門以外の日常の生活を大切にして、
何かを求められたときに
自分で出せるこまのいくつかを
用意できるぐらいにした方が良いと思いますが。

短絡的な専門バカ的思考ほど
ある意味で愚かしいものはないですから。
だから、例えば女性にいたっても
主婦的要素というのはきわめて大切であって、
そのことを軽視する女性は
まず精神年齢の幼い、結婚するには至らない
未熟な娘的要素の強いお方といえるでしょう。

偏見かもしれませんが。
その辺は、
いわゆる高学歴。社会的未熟にいたった過保護育ちに多い。
(私観では、低年齢層化した、
こういう知恵のなきか細きにいたった未熟で片輪な女性が
ことさらに多いと思われるのは
きわめて遺憾であるといえましょう。)
何度も警笛を鳴らしますが、
いわゆる高学歴層の専門歴のお方は
きわめて社会的未熟で偏った自己中心的発想と思われる
社会的経験のなさを露呈される場合がありますので、
注意に留めたほうがよろしいでしょう。

物事は一長一短でして、
およそあらゆる人生に無駄はないのでして、
きわめて洗練化され、理論化された直線的経歴思考のお方は
なにぶんにも、およそ実社会全体の意味での
得失勘定で、結局差し引きゼロなのですから、
ある分経験不足という意味で
実社会でマイナスを抱えておりますので
その分ハンデを担って生活への理解と負担とを
あらかじめ熟知しておいたほうがよいと思います。
それは、仕方ない事故のようなもので。

・・忘れられた もう一人の僕が

おいでおいでして、呼びかけてくるような。

もう、それは、

誰にも 止められないのだ。

Confession.

2004年3月29日 恋愛
左上の写真は、モン・サン・ミッシェル。
歴史に揉まれた孤島の大聖堂。
何か生き様を象徴するようで・・。

でも、ほんとは、
行ったことのある、
グラナダのアルハンブラ宮殿に
したかった。

数々の旅行先でも特に心に残ったのは、
夕日に映える、白のアルバイシンの丘。
そしてイスラムの最期の夢の離宮を舞台に、
ぼくはそのアルハンブラ物語を素材にした。
イスラム最後の王と、
新生キリスト教徒の女王イザベラとの邂逅の物語を
書き残したかった。
歴史の没落、そして新たな時代の到来を告げる必然と、
歴史の波に揉まれ、けらし戦わざるを得なかった、
愛しあう王と女王の戦いと悲恋の物語の戯曲化を記念に。

もう、7、8年前にも埋もれていた、
未完の戯曲(はじめての作品)なんだけど・・。
でもなんだかんだで、
まだ作りあげることはかなわなかった。(苦笑)
いつか完成するときがくるのかなあ・・
まあなつかしいし、大事にとっておいて。

昔の友達に会うのは、
忘れていた もうひとりの自分探しのため。
もう、時間がないのは、わかっているし。
あえてM子さんと話し合って
友達の仲としてもらうことにした。
もう少し冷静に客観的でいたいので。
あとは、昔と今にいたっての
もう一人の自分探しへ出ることにした。
(好きだねえ。阿呆だね。)
まあいいことあればいいなと思って。

しかして、美大院のM子さんからして、
ぼくは、意外なことに、
かなり、純粋で危なく見えるらしいので、
その点、気をつけろ、と。
ほんとうかなあ。・・よくわかんない??

何はともあれ、
自分探しへ再出発と心を決め。
楽しく、揚々と。

(・・過去の話に戻せば。)
ここ10年合わせて よくよく考えてみると。
ぼくは、20のころ、
あの秋田美人の、小野沢(旧姓・佐藤)伸子さんと会って、
あれがぼくのクライマックスだった。
もう一番好きで、好きで、どうしようもなかった。
(本好きな、ただのふつうのお姉さんだけど。)

今はただの思い出で泡と消えた。
だが、しかし終わってみると、
あとは、もうみんな、どうでもよくなっちゃって。
穴を埋めようともがいたけど。
申し訳ないが、結局似たりよったりだった。
考えてみれば、恋愛燃え尽き症候群?
そう、この人、その普通のお姉さんとの、
狂い咲きで すでに終わっていたのだ!
それで、その分身を追い求めたり、
また過去の呪縛から逃れようと、精一杯だった・・
だから、ほんとに、馬鹿で失礼で、
実は申し訳ないとしか いいようがないのだ。

やっぱり、自然がいい。
無理がたたると、うまくいかないことばかり。
M子さんにしても、無理はだめ。
頑張って、頑張って、無理はけっして良くないね。

でも、
僕が好きになるのは、
実はみんな似たりよったり、
同じような人なんだけどね。
しかも、結構、
黒星連敗、だったり。(笑)

だから、ぼくは、
実は、小野沢さんの、
ただの分身、空蝉だったかもしれないが、
でも、それじゃ、やだよね。だめなんだよ。
だから、自分を変えるために、
いろんな人と会い、がんばった。
で、それぞれ好きになったし、
みんな、かわいかった。
Mちゃんも、そのうちのひとり。
でもそれはそれでべつに、みんな、かわいかったんさ。

けど、僕がダメじゃ、
ほんとにだめなので。
まあ、こんども、
やるだけやってみるだけなんだよ。ひとつね。
そう、あの小野沢さんの、借りを返すためにも。
そうなんだよ、
きっとね。

(おわり。)

マドモワゼル。

2004年3月28日 恋愛
自分の心に揺れを感じる。
嬉しいことに よく友達とおしゃべりできた。
世界は広いな、と思った。
たとえ付き合う人がいたとして、それでも、
別の友達がいれば また違う観点で、ものが見える。

W大を卒業後して仏へ留学帰国後、
某TV局で働いてる某女史に会いに行った。
むかしの愚連時代の仲間である。
その変わりようの驚いたこと!
どこぞの芸能人かと思った。
昔からハイカラで洗練清潔感のある人だったが、、
今は局アナもどきでないか。
・・少し派手めに、なった?
都立新宿高校出の大阪育ちで
多少風変わりな、関西風味の持ち味の
茶目っ気のある人だったが。
おフランス行きが微妙に変化して、
なあんだかすっかりマドモワゼルになっちゃってるよ。
でも、確かに、
僕が不釣合いで、まったく浮いてしまうものの、
青山、六本木のオシャレ系探索紀行は楽しかった。
・・まったく、僕の知らない、
別の感覚の人になっちゃってるとは。
人生、環境でわからんもんだね。
しかし、よくも私のダサぶりを強調してくれました。
次回は、お礼に加えて、
たっぷりrevengeに徹します。

それにしても、Y市出身の、若い(そしてイモっぽい)
しかしてT美大院でご活躍中の
Mちゃんがまあすごいなと思っていたら、
まったく、正反対のぜんぜん違う輝きを放つ、
同世代君が少しも引けをとらず健在だったのは、驚きでした!
ほぼ、同世代終了とあきらめてたのに。
ほんと、ものすごい力強さと希望を感じました。
僕らでも、(女性も)
まだまだやるときゃやるんですね。
しかも明らかに経験の魅力が加わったのは
これはMさんにないものなんですね。
初めて知りました。ありがとうです。

なるほど、
まだまだM子世代には負けられないようです。
だから、やっぱり、
がんばるしか、ない!

それにしても、
仏文、仏音楽、知ってて良かったな!!間一髪。わっはっは。
ISBN:4001156768 単行本 内藤 濯 岩波書店 03/2000 ¥1,000 著者の生誕100年を記念し作られた復刻版。挿絵は著者自身が描いた米オリジナル版そのままの絵が載せられている。これまで親しんできた挿絵と比べると輪郭がはっきりしていて鮮明、そのほかにも「ささいな違い」を見つけながら読み進めていく楽しみもある。 本書は、ストーリーの展開を楽しむ意味においては子ども向けだが、むしろ大人…

「ほんとうにたいせつなことは 目にはみえない。」
最近、そんなことをふと考えてしまいます。

あくまでもぼくが追っているのは、
目にみえるカタチ。
物質、理論的なもののあくなき追求。

だがほんとうに形として残るのものはなんなのか?
人から人へ伝わるものはなんなのか?
研究という禅問答さながらに
満たされぬこころを前にして
ぼくは自問を繰り返してしまいます。

大事なものを見落としたまま
上っ面な自己満足の仕事だけで納得し、
忙しさにかこつけて
大切なものを見失っていなかったか。
答える自信がないのがなんとももの悲しい。

限られた24時間を生かすべく
自分の領域を人へ譲り、
カタチにみえる仕事へ没頭して結果を残すも
やはり納得いかぬのはなぜなのか。
答えは明瞭である。
大切なものさえ切り捨ててしまったから。
残されたものはただのセミの抜け殻に過ぎないということ。

別に自己を卑下しているのではなく、
さらに自分の仕事に完成を見出せず、
明らかに不足と同感に欠けているからこそ。
残りの空白の部分が目に余るのだ。
「ほんとうに目にみえない たいせつなこと」
その言葉が空虚な胸に突き刺さる。

ただの自己満足で終わるのが結果じゃない。
ただお酒を飲んで騒ぎ遊ぶばかりが楽しみじゃない。
独りよがりの芸の没頭だけが生きがいじゃない。
自分の主張を納得してもらえるばかりが仕事じゃない。

たった一回きりの 大切な人生。
みんな全員で
生き抜いてきてるのだという。
その生きている気持ちを全面へ押し出すこと。
ひいてはその気持ちをはぐくんで
わけ与え育てることができるならば。

ものすごくかんたんな 
目にみえない たいせつなことは
実はすぐに目につく そのへんの
当たり前のところに転がっているかもしれない。

置いてけぼりの大切なバラの花。
それにふたたび気づいて 取り戻すこと。
それがほんとうの
王子様の たびの始まりだったかもしれませんね。

やがて無用な禅問答から
大切な答えが引き出せられるのか。
とにもかくにも
不足を補い 実行しうるのならば、だと思います。



 
 

岐路。

2004年3月23日 恋愛
突然、メールがらみの連絡で、
昔の親友に会いに行った。
なかなか忙しくて
会えるもんじゃないと弁解しつつ。
(だって1回1時間も会えないでしょう。)

元気そうで、なによりと。
よもやま話にけりをつけ、
そろそろ席を外そうとした瞬間、
突然、まったく予想外のお話を
切り出されてしまった。。。

うーん。なんとなく、ひょっとしてと
思ってはいたけど。
(めんどくさいから、
 こういうの
 なるべく避けようと思ってきたんだよねー。)
最近よくある話なんだよなこれが。

簡単にいえば、
仮に付き合って欲しいと。

簡単にお茶を濁して
出てきてはしまったものの。

うーん。
同時に二人のお相手など
務まるはずもなく。
ただ、今、
もともとの方は
ただ何となく、
たいした確かなお返事もなく
ずるずると今に至るわけで。
フィーリングや
気持ちがという合うというだけで
ほとんど先のことは保留の状態だった。

もうひとつの問題は、
家業が同業であるということ。
今まではじめてのことで。
一度も考えたことなかった。

そしてもし、
これを例の御女子がみれば、
頭に火がついて湯沸し器はスパークし、
僕にメデューサの首とナイフが
送り届けられること間違いなし。
といって、今更振り向いてもらえてるわけでもなく。

・・どうしたもんか。
ただ、あっちは1回断られているわけなんだし。
あえて付き合う義理もない。

まあ、冷静になって、
落ち着いて話を聞いてみてから。
嬉しい半面、
僕にそういった淋しいオーラがでてるのか?
情けないねえ。

まあ、合コンというのも
ひとつのテではあるけれど。
それももったいないなあ。
とられるのやだし。
    ↑
  (馬鹿。)

まあ、嬉しい誤算としよう。(???)