一つの執筆が、終了しました。
推敲はまだまだ続きますが。
さあ、どこの雑誌へ掲載されるやら。

でも、アカデミックなものでなく、
怪しいくだらない小説でも書いて、
どこぞのゲバルト雑誌に載るのでもいいんですけどね。
売れない三文小説家。(笑)
だれか、雇ってくれないかなー。フリーライターとして。
でも、おそらく、メシ食べてかれないですね。(笑)
世の中、インチキルポ・ライターなんて、
ヤマのようにいるでしょうからね。
でも、ストーリー・メーカーって、
どういうソフト業界で浮かばれるんでしょうねー。
よくわかりませんです。
ギター侍のようになるわけにもイカンでしょうなー。

今日疑問に思うこと。
自分の主観イメージで相手を判断するのは、
非常に危険である、ということ。
温厚そうな人がヨカランことを企んでいるかもしれないし、
ワルそうな人が意外にマジメであったりする。
「あの人はああだから・・」と、
はじめから決めてかからないほうがよい。
たいてい、自分の想像とは違うことを考えていたりする。
その逆も然り。
相手をよく理解したいとするならば、
なるべく相手の言葉や態度を注意深く観察して、
そのいわれた通りに動いてみる。
相手が当方をいい加減に考えていたら、
どこかで破綻し、必ず矛盾が生じてくるはずである。
そこが、うそ・いつわりを見抜く鍵となる。
いい加減であったら、そこは適当に見切るほうが賢明である。
これが、人に乗せられず、
時間を無駄にしない良い方法だと考えます。

まあ、そういった意味で、
男女の区別なく、たとえ良さそうな人だと聞いていても、
はじめから人を信用してはまずいと思います。
はじめから疑いっぱなしも問題ですけど。
言や行動がほんとうなら、
ことはきわめて単純平明にすすんでいきます。
行動結果に矛盾が生じるのは、
基本的に人間関係につまづきが生じて、
どちらかが良からぬことを考えていたからに
他ならないと思われます。
そういった意味で、相手の言動不可解に備えての
契約は必要であります。
およそ人間は親、兄弟、上司、友人も含めて、
不可知な予想のつかない存在と理解して、
そのわかる範囲は氷山の一角にすぎぬと自覚して、
注意深く慎重にことに処するのが、賢明であると思われます。
自分の進む道を踏み外さないよう、
主観イメージで相手の烙印を押して安心するのが
いかに危険であるかをあえて強調しておきます。

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