たとえてみれば。
絵画や、美術や、音楽は、
一服の、小作品でしょ。
煮詰まった時間が、閉じ込められている。
まるで、パンドラの箱の、宝石のようだ。

でも、そんな純粋な伝統料理を離れて、
たまには無国籍料理を味わってみても良い。
そんな、時間変化のごっちゃ煮、千夜一夜物語が。
劇や映画なんだよね。
小説や戯曲は、読むものの想像力に任せてるけど。
劇や映画の表現は、より現実的、限定的。
だけど、自分にない、他者との、
ほんものの人間の触れ合い、生きた心地がある。
それが共感や意外性を生み、予想外に面白いんだよね。
新たな人間像との、出会い。それが生きて現実となる。
これがこのテの迫力、引き込む魅力そのもの。
だから、面白いし、やめられない。
そしてこれは、単なる伝統芸術や、スポーツにない、
生きた人間の、生活の息吹の魅力なんだよね。
様々な人間との、自然な触れ合い、出会いの証。
でも哲学や宗教のような、説教くさい思弁性もないんだよね。
そのまんまの絞りたての生のフレッシュ・ジュースのような、
作品のみずみずしさが、
歴史的作品とは別に、消え行きながら輝く生命力、
そして消えてしまう泡だけど、
次々にまた生まれ出る普遍性も持っている。

でも、また、それはそれとして。
僕にとって、なじみやすいのは、
なんとなくやっぱり、フランス文学なのだ。
ポール・バレリー、ベルレーヌ、ボードレールによる、
近代文学の言葉のしきたりの破壊が始まって、
ランボーが生まれ、イルミナシオンという、
現実生活の、言葉による開放と革命が起こり、
現実相克に先立つ、言葉の存在価値が見出される。
そこから始まって、哲学ではアンリ・ベルクソンが出現し、
言葉による、生命の哲学が流れるように出現し、
レビー・ストロースのような人類学者から、記号論と構造主義が現れる。これは主観に先立つ、外的構造のきわめて精緻な芸術因子が人間の心に刻まれて、われら基本認識に作用する影響と説得性を説いている。さらに、心身医学においてはフロイトからジャック・ラカンへ受け継がれ、精神医学の臨床的解釈へと発展する。まさに、きわめて難解にしても実は単純平明な、芸術大国フランス精神の産物なのである。いずれにしても根本に、現代の底流となる印象派巨匠のような様々な意識改革、美的生活革命の一端であって、根本はきわめて精緻にして単純である。その一瞬に輝くきわめて精緻におりなす技巧の極みが、自分に合う一番の理由だろうか。さらに、まるでルノワールの絵のように、可愛らしく軽い感じがピッタリなのである。
でも、彫刻ならイスラム世界の紋章なども、捨てがたい。
(アンダルシアに輝くアルハンブラのように丹精精緻なのね。)
けど、少々プライド高い、というよりナルシスチックなのが鼻につくけど。やっぱり。

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