DVD 『ワンダフルライフ』『ディスタンス』の是枝裕和による、劇場用長編第4作。1988年に東京で実際に起きた「子ども置き去り事件」をモチーフにし、母親に置き去りにされた4人の子どもたちが、彼らだけの生活を続ける約1年を描いている。撮影にも1年以上をかけた入魂の一作だ。 撮影時、子どもたちに台本は渡されず、監督のその場の指示で…
有楽町のビックカメラの8階の映画館で上演中。デートのあいまに見てきました。
主演の日本人の男の子が、カンヌ映画祭の主演男優賞を受賞。
はっきりいって、こんな不幸、ありえない。
世の中、こんなバカ不幸があるかっていう。
連れのハンカチは思いっきり涙で濡れ、
僕のほうは、悲しみで開いた口がふさがらない。
ゴーゴリのどん底、チェーホフ、ドストエフスキー、太宰治なんての比じゃない。
世の中、この不幸に比べたらまだマシという。
究極の負の遺産をみさせてもらった。
簡単にいえば、飲んだくれの母にお金をもらって生活していた4兄弟が、お母さんにみ捨てられて、離れ離れになりたくないので自立で生活しようとする。長男は12歳だが、学校にも行けずお金の工面に奔放する。だが焼きが回って、不良仲間とつるむが捨てられる。そんななか、学校を休み公園でぶらつく、仲間外れの中学生の女の子と仲良くなり、初恋をするが、その女の子が援助交際でお金を稼いでしまう。そのお金で、嫌だ、ダメだと知りつつ、妹や弟にゴハンを食べさせてしまうために貰ってしまう。しまいに2歳の一番下の女の子が椅子から落ちて死んでしまう。いつかみたいといっていた飛行機のみれる羽田飛行場まで死んだ妹を運んで、ジェット機の轟音の下、死体を埋葬してお祈りをする・・・
ありえません、常識から考えて。救う手はずもあるはず。でも、そこは作品。何より兄弟と離れ離れになりたくないという兄弟愛で、福祉事務所行きを免れた少年の意志を代弁しているといいたい。正統な社会派リアリズムで、アメリカのロスト・チャイルドや離婚問題・性犯罪のような、きわめて切実に現代的な諸問題を浮き彫りにしているが、単純大胆で、へたな理屈を必要としない監督独自の演出は、子供どうしによる子供だけの会話、大人のわかりやすいメッセージのみで、きわめて純粋な芸術作品に仕上がっている。ここまで究極の悲劇を表現できるとは、まさにありえなかった。奇跡である。かつ素材がほんとうに子供だけなので、その純粋な悲しみはたとえようもない。こんなに悲しい映画は、まさに生まれて初めてである。
しかし、知らぬとはいえ、こんな悲しい映画を僕にすすめた連れとは・・。なんちゅう眼力。とはいえ、僕を精神攻撃で殺す気かっちゅうの。
悲しみが極みに達すると、まさに自分におかれている現実の諸問題が、ほんとにバカバカしい、どうでもよいことのように思われて、そんな負の相乗効果でわずかに明るくなれる。しかし、見たものの心の傷は到底癒せないであろう。様々な批評も無言の悲しさの前には無力となる。離婚するのは、子供を捨てるのは、援助交際はやめよう。ただ、これだけのことではあるのだけれど。この傷の深みはたとえようもない。
というわけで、一応見ることをオススメはいたしますが・・
僕はもう。悲しみで疲れました。明日も仕事です。んなわけで、もう寝ます。しばらく、カルチャー・ショックで立ち直れそうにありません。なんでこういつも僕の前には、次から次に試練と問題が立ち塞がるのだろう・・あああ。なんて、ぶつくさいいながら。もう、ほんとに寝ます。では、オヤスミなさい。ZZZ・・・
有楽町のビックカメラの8階の映画館で上演中。デートのあいまに見てきました。
主演の日本人の男の子が、カンヌ映画祭の主演男優賞を受賞。
はっきりいって、こんな不幸、ありえない。
世の中、こんなバカ不幸があるかっていう。
連れのハンカチは思いっきり涙で濡れ、
僕のほうは、悲しみで開いた口がふさがらない。
ゴーゴリのどん底、チェーホフ、ドストエフスキー、太宰治なんての比じゃない。
世の中、この不幸に比べたらまだマシという。
究極の負の遺産をみさせてもらった。
簡単にいえば、飲んだくれの母にお金をもらって生活していた4兄弟が、お母さんにみ捨てられて、離れ離れになりたくないので自立で生活しようとする。長男は12歳だが、学校にも行けずお金の工面に奔放する。だが焼きが回って、不良仲間とつるむが捨てられる。そんななか、学校を休み公園でぶらつく、仲間外れの中学生の女の子と仲良くなり、初恋をするが、その女の子が援助交際でお金を稼いでしまう。そのお金で、嫌だ、ダメだと知りつつ、妹や弟にゴハンを食べさせてしまうために貰ってしまう。しまいに2歳の一番下の女の子が椅子から落ちて死んでしまう。いつかみたいといっていた飛行機のみれる羽田飛行場まで死んだ妹を運んで、ジェット機の轟音の下、死体を埋葬してお祈りをする・・・
ありえません、常識から考えて。救う手はずもあるはず。でも、そこは作品。何より兄弟と離れ離れになりたくないという兄弟愛で、福祉事務所行きを免れた少年の意志を代弁しているといいたい。正統な社会派リアリズムで、アメリカのロスト・チャイルドや離婚問題・性犯罪のような、きわめて切実に現代的な諸問題を浮き彫りにしているが、単純大胆で、へたな理屈を必要としない監督独自の演出は、子供どうしによる子供だけの会話、大人のわかりやすいメッセージのみで、きわめて純粋な芸術作品に仕上がっている。ここまで究極の悲劇を表現できるとは、まさにありえなかった。奇跡である。かつ素材がほんとうに子供だけなので、その純粋な悲しみはたとえようもない。こんなに悲しい映画は、まさに生まれて初めてである。
しかし、知らぬとはいえ、こんな悲しい映画を僕にすすめた連れとは・・。なんちゅう眼力。とはいえ、僕を精神攻撃で殺す気かっちゅうの。
悲しみが極みに達すると、まさに自分におかれている現実の諸問題が、ほんとにバカバカしい、どうでもよいことのように思われて、そんな負の相乗効果でわずかに明るくなれる。しかし、見たものの心の傷は到底癒せないであろう。様々な批評も無言の悲しさの前には無力となる。離婚するのは、子供を捨てるのは、援助交際はやめよう。ただ、これだけのことではあるのだけれど。この傷の深みはたとえようもない。
というわけで、一応見ることをオススメはいたしますが・・
僕はもう。悲しみで疲れました。明日も仕事です。んなわけで、もう寝ます。しばらく、カルチャー・ショックで立ち直れそうにありません。なんでこういつも僕の前には、次から次に試練と問題が立ち塞がるのだろう・・あああ。なんて、ぶつくさいいながら。もう、ほんとに寝ます。では、オヤスミなさい。ZZZ・・・
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