愚痴。

2004年6月12日 日常
最近、今までの女友達に出会って、
疑問に思うことが多々あった。

これは、僕の好きだった子も含めて、
残念ながらすべていえることなんだけど。
今の子は、自分中心に物事をあっさり見てしまい、
しかも自分の都合の良いように解釈して、
ところがほんとうは自分や周りの世界を、
実はぜんぜんわかっていないんじゃないかと
思えるときがある。
(特に他人の痛みや苦しみ、
そういったことに鈍感である。)

ジャンルは理文を問わず、
特にその傾向は学歴偏差値の高いといわれるほうに高く、
(ようするに利己的ならば精を出すというタイプ?)
大学の学生さん、美術学生さん、銀行のOGさん、
同業者、工学博士さん、音楽家女優さん、
まあいろいろいましたけど。
自分のことで精一杯で他人の痛みに鈍感な点では、
ジャンルを問わず、ぜんぜん変わらないのであります。
ヤマトナデシコ、そんなに急いでどこ行くの?
あまつさえ、こんな僕でさえ、
ちっぽけな発見の発表で競っていて、
自分に懸命なのは、やっぱりいやだけれども。

無駄を省いて遊びごごろを忘れて、
一心に取り組むのは かってだけれど
気持ちにゆとりがあるから いい仕事ができるんじゃない?
ぼくも含めてだけど、
そんなに急いでとりくむ仕事の その先に
ナニが待ってるのか。
(その向こうの相手は、人間のかおをした何ものかなのかい?)
ハッキリ意を決していうと、
(価値観の違いはどうであれ、)
僕は彼女らの大切にする仕事が
そんなに大したものとは思えないのです。
というか、少なくとも、
その余裕のない仕事ぶりには全然魅力を感じない。
別に嫌味をいってるわけではないが。
女性には、もっぱら男性とは異なる、
もっとも大切な仕事が備わっているはずで、
それに比べたら、ほかのことは
(僕の仕事なんか比べても)
些細な、ちっぽけな気がする。
だから、そんなつまらないことを大事にして、
元の自分を見失ってどうするの?
もっとのんびり構えてやればいいのに。

とにもかくにも
無駄が生き生きする時間もありますので、
すべてを合理、常識にあてはめ、
ステレオタイプに方程式を解くかのごとく処し
無駄な時間を省くつもりで
己の大切な人生の時間すら省いてしまったような人とは
これ以上付き合う気がしないのは
致し方ないではありませぬか。

というわけで、
自分のご都合にしか物事を捉えられない、
狭い了見の世界のご住人とは
金輪際、一緒に同居はできませんので、
アシカラズ、というところでしょうか。
(・・くだらないなあ。トホホ。)

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