ブラックジャックによろしく 8 がん医療編 4 (8)
2004年3月27日 エッセイ
ISBN:4063289362 コミック 佐藤 秀峰 講談社 2004/02/23 ¥533
お題はほどほどに、よもやまを交えるか・・?
たとえば、一曲に始まりと終わりがあるように、
生と死も、そのターニングポイントがある。
生き様が人さまざまであるように
終末像も、またさまざまであり
日常に生の謳歌があふれて忘れ去られがちな終末へ
さらに思いをめぐらすのは、むつかしいことではあるが、
人それぞれのエピローグに 一定の執行猶予のもうけられた
癌死の生に対する自覚への促しは
やはり激しい痛みや実感がこもるものである。
結局、生のエピローグは
各人の生き方の集大成であり、
その限られた時間においては
各人にゆだねるほかは、ないのであるが・・。
死といってもいろんな死に方死に場所があり、
大往生からmiserableなものまでさまざまであるが、
恐らく自覚の伴わない急死より、
納得いかれるものも少なからずあろう。
どんなに長生きしようとしても
いつかは誰しも死は訪れるだろうし、
逆に永遠に生きられるとすれば、
それこそ無目的な、一生退屈な人生の恐怖で満たされるだろう。
はなはだ一生が短いのは残念であるが、
けだし、神様のくれたプレゼントくらいに
考えておいたほうがいいのではないか。
確かに抗がん剤投与による、
大規模臨床試験の展開は
それ相応の副作用と延命をもたらし
一部に寛解に至る奇蹟的事象をもたらすが、
癌死が生命期間を短くするのは現在間違いないし、
基本的に死を免れる病気でもないのである。
ならばこそ、生とみつめ合い、
死と共存しあう生き方。
その手ごたえを十分に実感する時間である。
実際の死の克服、闘病には、
限界を超えた痛みや、体力・精神的苦痛を伴い、
およそ想像もつかぬ大変な労力を消費されるだろう。
緩和ケアなるものは、その限界なる緩和対症療法に努め、
なおかつ十分な精神的よりどこりの支えを
提供しなければならないのであるが・・。
ただし、病状悪化に伴う病識や治療意欲の変容は
恐らく対処に選択の変更を迫られ、
かつ緩和ケア俗にBest Supportive Careなるものは
現在の完治より遠く離れて、
治療を断念し死を受け入れざるを得ない状況に至った
積極的治療の除外を宣誓された方の総体である。
医療の限界を思い知り、
なおかつ生き頼らざるを得なくなった方がたの
残された人生の使い道。
それを、肯定的に受け取り
暗中に活かす道の模索こそが
この医療、ケアの積極的考え方の神髄である。
逆にいえば、
一見病に侵され、不自然に受け取られた死に道を
いかに自然死に、ひいては自然な生命の終焉へと
導ける努力、納得いける自然な死に方へのアプローチが、
この医療の最大のテーマでないか?
実際、患者さんが、
死の手前一瞬、生のこうごうしさを解き放ち、
最後のエピローグへ至るドラマを演出し、
残された生き行く人々へ
最後の道標をわたし 生の歓喜を生き伝え、
生の輝きを残してゆく数々の場面。
およそそれぞれ、
いうにいわれぬ感慨ぶかきものがあり
ただただ首肯を垂れるばかりである。
お題はほどほどに、よもやまを交えるか・・?
たとえば、一曲に始まりと終わりがあるように、
生と死も、そのターニングポイントがある。
生き様が人さまざまであるように
終末像も、またさまざまであり
日常に生の謳歌があふれて忘れ去られがちな終末へ
さらに思いをめぐらすのは、むつかしいことではあるが、
人それぞれのエピローグに 一定の執行猶予のもうけられた
癌死の生に対する自覚への促しは
やはり激しい痛みや実感がこもるものである。
結局、生のエピローグは
各人の生き方の集大成であり、
その限られた時間においては
各人にゆだねるほかは、ないのであるが・・。
死といってもいろんな死に方死に場所があり、
大往生からmiserableなものまでさまざまであるが、
恐らく自覚の伴わない急死より、
納得いかれるものも少なからずあろう。
どんなに長生きしようとしても
いつかは誰しも死は訪れるだろうし、
逆に永遠に生きられるとすれば、
それこそ無目的な、一生退屈な人生の恐怖で満たされるだろう。
はなはだ一生が短いのは残念であるが、
けだし、神様のくれたプレゼントくらいに
考えておいたほうがいいのではないか。
確かに抗がん剤投与による、
大規模臨床試験の展開は
それ相応の副作用と延命をもたらし
一部に寛解に至る奇蹟的事象をもたらすが、
癌死が生命期間を短くするのは現在間違いないし、
基本的に死を免れる病気でもないのである。
ならばこそ、生とみつめ合い、
死と共存しあう生き方。
その手ごたえを十分に実感する時間である。
実際の死の克服、闘病には、
限界を超えた痛みや、体力・精神的苦痛を伴い、
およそ想像もつかぬ大変な労力を消費されるだろう。
緩和ケアなるものは、その限界なる緩和対症療法に努め、
なおかつ十分な精神的よりどこりの支えを
提供しなければならないのであるが・・。
ただし、病状悪化に伴う病識や治療意欲の変容は
恐らく対処に選択の変更を迫られ、
かつ緩和ケア俗にBest Supportive Careなるものは
現在の完治より遠く離れて、
治療を断念し死を受け入れざるを得ない状況に至った
積極的治療の除外を宣誓された方の総体である。
医療の限界を思い知り、
なおかつ生き頼らざるを得なくなった方がたの
残された人生の使い道。
それを、肯定的に受け取り
暗中に活かす道の模索こそが
この医療、ケアの積極的考え方の神髄である。
逆にいえば、
一見病に侵され、不自然に受け取られた死に道を
いかに自然死に、ひいては自然な生命の終焉へと
導ける努力、納得いける自然な死に方へのアプローチが、
この医療の最大のテーマでないか?
実際、患者さんが、
死の手前一瞬、生のこうごうしさを解き放ち、
最後のエピローグへ至るドラマを演出し、
残された生き行く人々へ
最後の道標をわたし 生の歓喜を生き伝え、
生の輝きを残してゆく数々の場面。
およそそれぞれ、
いうにいわれぬ感慨ぶかきものがあり
ただただ首肯を垂れるばかりである。
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