星の王子さま―オリジナル版
2004年3月25日 恋愛
ISBN:4001156768 単行本 内藤 濯 岩波書店 03/2000 ¥1,000 著者の生誕100年を記念し作られた復刻版。挿絵は著者自身が描いた米オリジナル版そのままの絵が載せられている。これまで親しんできた挿絵と比べると輪郭がはっきりしていて鮮明、そのほかにも「ささいな違い」を見つけながら読み進めていく楽しみもある。 本書は、ストーリーの展開を楽しむ意味においては子ども向けだが、むしろ大人…
「ほんとうにたいせつなことは 目にはみえない。」
最近、そんなことをふと考えてしまいます。
あくまでもぼくが追っているのは、
目にみえるカタチ。
物質、理論的なもののあくなき追求。
だがほんとうに形として残るのものはなんなのか?
人から人へ伝わるものはなんなのか?
研究という禅問答さながらに
満たされぬこころを前にして
ぼくは自問を繰り返してしまいます。
大事なものを見落としたまま
上っ面な自己満足の仕事だけで納得し、
忙しさにかこつけて
大切なものを見失っていなかったか。
答える自信がないのがなんとももの悲しい。
限られた24時間を生かすべく
自分の領域を人へ譲り、
カタチにみえる仕事へ没頭して結果を残すも
やはり納得いかぬのはなぜなのか。
答えは明瞭である。
大切なものさえ切り捨ててしまったから。
残されたものはただのセミの抜け殻に過ぎないということ。
別に自己を卑下しているのではなく、
さらに自分の仕事に完成を見出せず、
明らかに不足と同感に欠けているからこそ。
残りの空白の部分が目に余るのだ。
「ほんとうに目にみえない たいせつなこと」
その言葉が空虚な胸に突き刺さる。
ただの自己満足で終わるのが結果じゃない。
ただお酒を飲んで騒ぎ遊ぶばかりが楽しみじゃない。
独りよがりの芸の没頭だけが生きがいじゃない。
自分の主張を納得してもらえるばかりが仕事じゃない。
たった一回きりの 大切な人生。
みんな全員で
生き抜いてきてるのだという。
その生きている気持ちを全面へ押し出すこと。
ひいてはその気持ちをはぐくんで
わけ与え育てることができるならば。
ものすごくかんたんな
目にみえない たいせつなことは
実はすぐに目につく そのへんの
当たり前のところに転がっているかもしれない。
置いてけぼりの大切なバラの花。
それにふたたび気づいて 取り戻すこと。
それがほんとうの
王子様の たびの始まりだったかもしれませんね。
やがて無用な禅問答から
大切な答えが引き出せられるのか。
とにもかくにも
不足を補い 実行しうるのならば、だと思います。
「ほんとうにたいせつなことは 目にはみえない。」
最近、そんなことをふと考えてしまいます。
あくまでもぼくが追っているのは、
目にみえるカタチ。
物質、理論的なもののあくなき追求。
だがほんとうに形として残るのものはなんなのか?
人から人へ伝わるものはなんなのか?
研究という禅問答さながらに
満たされぬこころを前にして
ぼくは自問を繰り返してしまいます。
大事なものを見落としたまま
上っ面な自己満足の仕事だけで納得し、
忙しさにかこつけて
大切なものを見失っていなかったか。
答える自信がないのがなんとももの悲しい。
限られた24時間を生かすべく
自分の領域を人へ譲り、
カタチにみえる仕事へ没頭して結果を残すも
やはり納得いかぬのはなぜなのか。
答えは明瞭である。
大切なものさえ切り捨ててしまったから。
残されたものはただのセミの抜け殻に過ぎないということ。
別に自己を卑下しているのではなく、
さらに自分の仕事に完成を見出せず、
明らかに不足と同感に欠けているからこそ。
残りの空白の部分が目に余るのだ。
「ほんとうに目にみえない たいせつなこと」
その言葉が空虚な胸に突き刺さる。
ただの自己満足で終わるのが結果じゃない。
ただお酒を飲んで騒ぎ遊ぶばかりが楽しみじゃない。
独りよがりの芸の没頭だけが生きがいじゃない。
自分の主張を納得してもらえるばかりが仕事じゃない。
たった一回きりの 大切な人生。
みんな全員で
生き抜いてきてるのだという。
その生きている気持ちを全面へ押し出すこと。
ひいてはその気持ちをはぐくんで
わけ与え育てることができるならば。
ものすごくかんたんな
目にみえない たいせつなことは
実はすぐに目につく そのへんの
当たり前のところに転がっているかもしれない。
置いてけぼりの大切なバラの花。
それにふたたび気づいて 取り戻すこと。
それがほんとうの
王子様の たびの始まりだったかもしれませんね。
やがて無用な禅問答から
大切な答えが引き出せられるのか。
とにもかくにも
不足を補い 実行しうるのならば、だと思います。
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