いろいろ悩んで考えていて
 答えがみつからないとき
 本当にその局面での
 正しい解答などないに等しい。
 
 悩んだ末の回答に
 正誤などあるはずもなく
 ただ、その場にふさわしい
 選択肢のひとつを好みで選んでみただけ。

 この好みが曲者で
 たいていは勝手気ままな
 無責任な好き好きで決まってしまうだけ。
 考えてみればむごい話である。

 はじめから考えてみると、
 そうそう各人めいめいにたいそうな違いなどなく、
 おとこもおんなも、
 同じ保育器の中で生まれ育ち、
 ただ分け隔てのない愛情で生まれ育ってきたのだ。

 罪びとにしろ、
 生まれたときはみんな全員かわいい赤ちゃんなのだ。

 狭いニッポンの中で
 どこそれの生まれ育ちとか
 お顔や体つきとか
 考えてみればつまらない話で、
 ただその場で、それぞれのおかれた中で
 普通に努力してやってきた仲間に過ぎない。

 小さな違いをことさら大きくみせて
 際立たせて隔てるような
 つまらない考えは払拭したい。
 レッテルの貼られた周囲の環境は
 たまたまその場の偶然から成り立っただけで、
 そこにみせかけのヒエラルキーがあるに過ぎない。
 くだらぬ紋付きはかまはさっさと捨てて
 しがらみにとらわれない
 ありのままの 元の自由なぼくたちを
 もう一度みつけれればいいなと思う。

 何年の付き合いにしろ、
 はじめはただの偶然が重なって
 なんとなくその場を過ごしていただけにすぎない。
 ただその場のしがらみで
 慣れ親しみ生きただけにすぎない。
 
 その偶然の出会いの
 どちらに重きがあろうはずもなく
 ただ漠然と
 そのどちらかの偶然に慣れ親しみを感じただけである。
 出会いとはそんなもので
 だからどちらがどうというはずのものでもない。
 ただ時と偶然の流れに身を任せて、
 良かったな、楽しかったなと
 思えていただけである。

 だから過去にこだわるふうもなく、
 さして未来も心配せず、
 むかしもいまもかわりなく
 ただ当たり前のことを当たり前のように感じて
 今を風のようにさらりと生き流せば、
 そう悩みもみせず、
 ありがままをありがままに受け止められ、
 恋も含めて毎日を楽しく
 さらに過去の我執に埋もれることもなく、
 しぜんと自分流に楽しく生きれるかなと思う。
 このこだわりなく「自分流」に生きるということ
 悩んだあかつきの回答として
 おすすめしたりしますが、どうでしょう?ヒデヨシ君。
 
 
 
 
 
 
 

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