「Re-Birth」評。
2004年1月10日こんばんは。
「Re-Birth」を拝見させていただきました。
まずは、おめでとうございました。
そして、若干のコメントを身勝手にさせていただきます。お許しのほどを。
俳優のYさん。つかこうへい事務所の、アクション時代劇、体を動かしてのドタバタものの最先鋭の役者さんですね。見栄を切る古典的な演技より、一歩リードして、あえて距離をとり自分を殺した技は、なるほど、そのむつかしい、引き立ての立場の役廻りを見事表わし演じきっていらっしゃったように思われました。非常になつかしい、(僕なんかにとってはむしろ古典的といえるほど。)親近感あふれるもので、舞台を暖かく包んでいらっしゃるなあと思いました。特に、その本来悲劇と殺伐とした内容を、うまく喜劇風にまとめた手腕はすごいなと思いました。
残りの主演女優さま。このお二人は実質主演であり、特に陰と陽の個性、その役回りを見事に演出されていらっしゃいました。鬼気迫るおどろおどろしさ。(もともとホラーのお話ですので。)ベテランの妙味はやはり尽きないのですが。ただし、あの原作の陰惨さ、女たちのおどろおどろしい戦いを、あえてアッケラカン風にみせたのは、役者さん個性の持ち味なのでしょうか。
患者さんが癒される過程で二重人格が直るとみせられて、実は恋人を奪われ、さらに絶望の死を選択させられたのは、恋人を奪われたという現実を意図的に直面し思い出させられたからであり、そんなまがまがしい出会いの偶然を理解しつつ虚構をはらざるを得なかったカウンセラーの罪を、死を選択する患者さんは嘘と主張していたのであり、その作為をいかにお客に知らしめるや、それが本題でありましょうや。ところがあくまで新米のカウンセラーは、それを知らずにそれとなしたと通す。本当はどうだったのでしょう。その実、結果は予めからわかっていたはずである。だから不幸と結末したのである。そこの、悲劇を選択した罪なるものの意識。それを最後に前面に出していたかったかなあ。そうでなければ、それは事件とはいえないでしょう。偶然で人が死ぬなどとは、誰も予想しえなかったでしょう。そのような原作のマイナスの見得をうまく切り捨てて舞台にまとめあげた。そのようなことだったように思われます。
それと、もう一つ。主演M.Oさんは、この舞台で、恐らく、笑顔を禁じられていたように思います。今後の役作りにおいて、恐らく可能性を試されたのと、新たな役作りに自信を持たせるためのチャレンジだったといえるでしょう。ただ、彼女の真骨頂、落としどころは、やはり怪獣のナレーションにいえるように、基本的に、彼女の少女らしい優しさ、愛する者への無垢の慈しみとその理解であったといえるでしょう。彼女は、事件に苦しむ女性の罪なき代弁者、命乞いの役目を担っていたと思います。怒りの演技は、与えられたテーマがそうであっただけで、この劇の舞台柄の要所はそういったところにはありません。
と勝手な無駄口をたたいて、このろくでもない文章を終わりにします。
それにしても、あの小さいハコの狭い升席、なつかしいですね。昔から変ってなかったもんなー。(笑)
「Re-Birth」を拝見させていただきました。
まずは、おめでとうございました。
そして、若干のコメントを身勝手にさせていただきます。お許しのほどを。
俳優のYさん。つかこうへい事務所の、アクション時代劇、体を動かしてのドタバタものの最先鋭の役者さんですね。見栄を切る古典的な演技より、一歩リードして、あえて距離をとり自分を殺した技は、なるほど、そのむつかしい、引き立ての立場の役廻りを見事表わし演じきっていらっしゃったように思われました。非常になつかしい、(僕なんかにとってはむしろ古典的といえるほど。)親近感あふれるもので、舞台を暖かく包んでいらっしゃるなあと思いました。特に、その本来悲劇と殺伐とした内容を、うまく喜劇風にまとめた手腕はすごいなと思いました。
残りの主演女優さま。このお二人は実質主演であり、特に陰と陽の個性、その役回りを見事に演出されていらっしゃいました。鬼気迫るおどろおどろしさ。(もともとホラーのお話ですので。)ベテランの妙味はやはり尽きないのですが。ただし、あの原作の陰惨さ、女たちのおどろおどろしい戦いを、あえてアッケラカン風にみせたのは、役者さん個性の持ち味なのでしょうか。
患者さんが癒される過程で二重人格が直るとみせられて、実は恋人を奪われ、さらに絶望の死を選択させられたのは、恋人を奪われたという現実を意図的に直面し思い出させられたからであり、そんなまがまがしい出会いの偶然を理解しつつ虚構をはらざるを得なかったカウンセラーの罪を、死を選択する患者さんは嘘と主張していたのであり、その作為をいかにお客に知らしめるや、それが本題でありましょうや。ところがあくまで新米のカウンセラーは、それを知らずにそれとなしたと通す。本当はどうだったのでしょう。その実、結果は予めからわかっていたはずである。だから不幸と結末したのである。そこの、悲劇を選択した罪なるものの意識。それを最後に前面に出していたかったかなあ。そうでなければ、それは事件とはいえないでしょう。偶然で人が死ぬなどとは、誰も予想しえなかったでしょう。そのような原作のマイナスの見得をうまく切り捨てて舞台にまとめあげた。そのようなことだったように思われます。
それと、もう一つ。主演M.Oさんは、この舞台で、恐らく、笑顔を禁じられていたように思います。今後の役作りにおいて、恐らく可能性を試されたのと、新たな役作りに自信を持たせるためのチャレンジだったといえるでしょう。ただ、彼女の真骨頂、落としどころは、やはり怪獣のナレーションにいえるように、基本的に、彼女の少女らしい優しさ、愛する者への無垢の慈しみとその理解であったといえるでしょう。彼女は、事件に苦しむ女性の罪なき代弁者、命乞いの役目を担っていたと思います。怒りの演技は、与えられたテーマがそうであっただけで、この劇の舞台柄の要所はそういったところにはありません。
と勝手な無駄口をたたいて、このろくでもない文章を終わりにします。
それにしても、あの小さいハコの狭い升席、なつかしいですね。昔から変ってなかったもんなー。(笑)
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